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純文学と大衆文学の違いって何だろうってずっと考えてきた。
もしも正しい答えがあったらこんな風に悩まないだろうし議論も生まれないだろうから、答えを探そうとすること自体ナンセンスなのかもしれないけど、そうやって考える行為が”文学する”ことだと思うから、少し頭の中を整理して書いてみる。


二者の違いについては色々な意見があるけど、私が賛同しているのは
「人のために書かれたのが大衆文学、自分のために書かれたのが純文学」

確かに推理小説のようなエンターテイメント作品は読者を楽しませるために書かれたもので、大衆文学と呼ばれることが多い。新書やハウツー本のような指南書が純文学と呼ばれないのも、人のために書かれているからかもしれない。

それに比べて、名作として読み継がれている作品は、登場人物(主に主人公)に作者の思想が反映されていたり、作品まるごと作者の人生観の写しだったりする。作者が自分と向き合って、絞り出し捻り出した思考の筋道がよく見える。そうやって小説として自らの思想や感情を作品化することに自己表現の術を見出して、生きる糧にしている。このようにまずは自己本位で、作者自身のために生まれたものが純文学と呼ばれているのかもしれない。


あとは、作品が純文学と呼ばれるようになるには時間がかかるということ。少なくとも30~40年はかかるんじゃないかと私は思ってる。漱石の作品だってはじめは新聞小説として世に出てきて、当時は大衆文学のように扱われてた。それが時間が経って、今は純文学として多くの人に愛されている。村上春樹の『1Q84』も出版されるや否やブームが巻き起こっていかにも大衆小説っぽいけど、それもあと30年位すれば平成時代を映した純文学小説として生まれ変わるのではないかと。いくら発売当初に売れても、時間が経つにつれて売れなくなる作品なんていくらでもある。時代に淘汰されて 生き抜いた作品が純文学として名を残すんだと思う。


短い人生の中で読める本は限られてる。私の場合は年間100冊しか読めない。それならばできるだけ良い本を読みたい。そこで今書いてきたような指標を持って、私は純文学と呼べるような作品を読んでいるつもり。でもそうすると21世紀の作品をほとんど読まないという偏った事態に陥ってしまうので、最終的には「バランス良く何でも読め!」ですかね。

何かを毎日続けるって本当に難しい。何をやっても続かない。
でも唯一読書だけは毎日続いているので、これからも日々書物と向き合っていきたいと思います。
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ありがちなタイトルだけど。
ちょうど去年の今頃留学に出発した。不安と希望に胸膨らませて。
あれから1年。結果的にはたった1ヶ月半で帰国して、結局英語も満足にできないままだけど、運命は1本道で、こうなる以外にはなかったんだと、ちゃんと受け止められてる。

今まで約10ヶ月間、友達にはほとんど会えなかった。1人で自由に外出もできなかった。代わりに両親や祖父母をはじめとする親戚と過ごす時間が格段に増えて、大人と対話する時間が増えた。病気と向き合わなきゃいけない辛さもあるけど、こうやって周りの大人たちに支えられた経験は一生の宝になると思う。

若い頃は特にそうかもしれないけど、人は同年代で集まりたがる。その方が楽しいから。気も合うし。私も留学までずっとそうで、家にほとんどいなかった。病気が治ったらまたそんな生活に戻るかもしれない。だからこそこの10ヶ月間の価値は大きい。

どれだけ本を読んでも、どれだけ知識を詰め込んでも、どれだけ真剣に思考を積み重ねても、人生経験には敵わない。大人の口からは、同年代の人といくら対話しても出てこない、人生経験に培われたものの考え方が出てくる。祖父母の言葉の重み、説得力といったら、両親とも比べ物にならない。友達や先輩と話すだけでは、お互い共感し合って終わってしまったり、自分たちの年代を主観的にしか見られないで終わってしまったりするけど、自分と何十歳も離れた人と話すと、共感がアドバイスへとつながっていったり、20代という自分の年代を客観的に見られたりする。違う世代との対話でこそ得られる貴重な経験。

病気になってなかったら、若さ故の悩みに押しつぶされてたかもしれない。それが若さ故だということにも気づかずに。夜更かしして、世界の広さも忘れて、暗闇の中独りきりだったかもしれない。いつかの自分のように。病気になって、大人に囲まれた環境に身を置いて、色々な人生のアドバイスもらって、そんな生活に終止符を打てた。精神的健康を実感することができた。

夜の静寂に包まれて自分と向き合うことも大事で、私は過去の自分をもちろん否定することはしないけど、健康はもっと大事。「健全な魂は健全な肉体に宿る」とはよく言ったものだと思う。不健全さと健全さをどちらも体験した今、どちらが良いかと言われたらやっぱり健全な方。不健全さが招いた病気が治ってきて健全さを手に入れたんだから当たり前か。

悩みを緩和してくれて、社会人が持つべき健全な生活態度を教えてくれた周りの大人たちには本当に感謝。
早く100%健康になれるよう頑張ります。頑張りすぎない程度に。
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「継続は力なり」を座右の銘にして日々努力しようとしてるけど、どうしても三日坊主が勝ってしまう。何かを毎日続けるって本当に難しい。


まず、英語リスニング。絶望的にできないから何とかしなきゃと思って、CD付きテキストを購入。『ハリウッドスターの英語』ってやつ。これなら続くかなと期待を込めて。これは2~3日に1回ぐらいのペースで1ヶ月ぐらい続いてる。けどたまにサボって4~5日やらないこともある。辛うじて続いてる感じ。ちなみに全く手応えなし。こんな調子で1ヶ月じゃそりゃね。はぁ。全く聞き取れない、英語。

次に、辛うじて続いてたのがいよいよ終わってしまいそうな、水泳。7月から始めて最初は週3ペースで行ってたんだけど、開始早々の7月下旬に足を痛めて泳げなくなって以来足が遠のいてる。せめてプールには行こうと思って水中ウォーキングしに行ってたけど、そんな面倒なことするくらいなら地上を歩く方を選ぶ。てことでここ1~2週間は全然行ってない。もうすぐ夏も終わって水着気分じゃなくなるし(寒いし)水泳ダイエット計画も終わりを告げようとしています。残念。水着代もったいない。

あとは、世界史の勉強。「歴史会」っていう歴史勉強し直す会を作って数回はやったんだけど、そのまま留学しちゃったのでやむを得ず中断。帰国後自分で頑張ろうと思って、問題集買って、高校の教科書と図説使って、いざ、ヨーロッパ近代史!がしかし、挫折。文字通りの三日坊主でした。でも昨日本屋で世界史入門コーナー行ったら再び火がついた。今度こそ一通りおさらいするぞ、という、まぁ最初は誰もが持つ気迫で、思い立ったが吉日、早速昨日から再開。さていつまで続くでしょうか。

努力はできれば隠れてしたいもの。そう思って黙って始めて黙って撃沈するという虚しい事態に陥っていたので、思い切って公開してみました。まぁ公開したところで自分が動かなければ何も変わらないのだけど。力がないのは継続できないから。まずは継続から。そう思えるのは唯一毎日継続している読書があるから。本格的に文学を志してから約1年半、ようやくリズムに乗れるようになってきた。まだまだ読書経験は浅いけど、とにかく続けるしかないのだ、続けることが力につながるのだと、我が身をもって証明できたと思う。1年半かけて。

てことでこれからも読書は続ける!リスニングと水泳と世界史はなるようになる!継続は力なり<三日坊主、のお話でした。読書の話はまたどこかでしたいな。
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私には自意識過剰なところがある。
特に自分の思考や感情を言葉で表現する時。
読んだ人がどう思うかをものすごく気にしてしまう。
自分が思ってるほど、他人は自分に興味ないのにね。
もっと素直に、思ってるそのままを言葉にできたら、っていつも思う。
人目を気にせず、自分の思うままを。

でも、他人がいるから、自分がいる。
去年病気した時、周りの人たちを見失って、自分1人で生きてると思い込んでた時期があった。
あの時は今まで味わったことのない解放感と共に、絶望的な孤独感に襲われてた。
凄まじい解放感と孤独感が交互にやってきて、正常な思考回路が麻痺した。
脳の回転が止まらなくて、いくらでも言葉を紡ぎ出せた。
その時は確かに"自分の思うままを”言葉にできてたかもしれない。
だけど今思えば、自分も見失ってた。
恐ろしい状態だった。

その体験があるから、自分が今いるのは周りの人たちのお陰なんだなと、心から思える。
周りの人たちというより、その人たちの見えない視線。
その人たちが実際自分に興味を持っていようがいまいが関係なく、とにかく、見えない視線を感じることの大切さ。
それがなくなったら、自分もなくなってしまうから。

自分を保つために、ツイッターやったりブログ書いたりしてるのかもしれない。
人の目を求めて。人の目に支えられて。
だから自意識過剰はいつまで経っても相変わらずなのかな。
あまり欠点と思わないようにしよう。
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何のために本を読むかというと、現実逃避のためかなと最近思う。
本を読むと嫌でも人間のこと考えるけど、果たしてその"人間"ってのは、自分が普段生活してる上で接してる人たちと同じ"人間"なのか。たぶん違う。

本を読んで考えた人間論を現実の生活の人間論に照らし合わせようとすればするほど、どんどん乖離していく。
家族、友達、テレビタレント、、本の世界の人たちと違いすぎて、組み立てた人間論があまり役に立たない。
前は本を読んで考えたことを自分の人生に役立てようと思ってたけど、それを目的にしてたらいつまで経っても救われないのだと気づいた。
本の世界と現実世界は違うのだと割り切った方が楽だし、読書が有意義になるのでは。
そう思ったら急に視界が開けて、読書を純粋に楽しめるようになった。

文学って現実逃避の学問なのかな。
まぁ文学っていう学問として考えるとまた読書の味も違ってくるのだけど。

少し本の話してみました。
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